当院について
沿革
病院の沿革
昭和 | 28年 | 6月1日 | 開設し、診療を開始する 院長 小穴 聡 |
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9月8日 | 一般病床56床とする | ||
29年 | 4月1日 | 伝染病棟25床管理運営する | |
6月1日 | 結核病床50床を新設し、治療を開始する | ||
31年 | 1月 1日 | 院長 鈴木 寛となる | |
36年 | 6月20日 | 一般病床55床に変更する。 | |
39年 | 6月1日 | 病棟の一部増築により、一般病床22床を増築し、一般75床、結核50床、伝染病25床の合計150床となる。 | |
40年 | 4月6日 | 県立津川病院付属看護学院を設置し、准看護婦の養成に努める。 | |
41年 | 4月1日 | 救急病院として指定告示される。 | |
44年 | 3月31日 | 付属看護学院の閉鎖。 | |
45年 | 8月1日 | 結核入院患者減少のため、結核病床50床を閉鎖する。 | |
47年 | 4月10日 | 病院の全面改築工事を始める。 | |
48年 | 3月31日 | 病院竣工。一般病床65床、新生児2床、伝染病床25床の合計92床となる。 | |
49年 | 7月31日 | 東蒲原郡広域衛生組合伝染病舎12床竣工。 | |
12月1日 | 旧伝染病舎25床廃止。 上川村室谷地区の健康管理室から、病院、保健所の医療センターへファクシミリで情報を伝送し、降雪期の辺地医療が行える遠隔診療の実験が開始される。 |
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56年 | 4月1日 | 院長 菊田 亮司となる。 | |
59年 | 3月31日 | 新発田、津川広域医療圏第2次医療体制(病院群輪番制)を実施する。 | |
63年 | 4月1日 | 訪問診療の開始。 | |
平成 | 元年 | 4月1日 | 院長 阿部 昌洋となる。 |
3年 | 12月 | へき地巡回診療開始。 | |
4年 | 4月1日 | へき地中核病院に指定される。 | |
6年 | 4月1日 | 訪問看護開始。 | |
10年 | 4月1日 | 新発田、津川広域医療圏第2次医療体制から、新津保健所管内の第2次医療体制に移行する。 | |
12年 | 4月1日 | 院長 小幡 八郎となる。 介護保険法の施行に伴い、「訪問看護」「居宅療養管理指導」について、居宅サービス事業者の「みなし指定」を受ける。 |
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14年 | 12月1日 | へき地巡回診療の冬期診療間隔を2週1回から4週1回に変更。 | |
15年 | 2月1日 | へき地医療拠点病院へ指定変更となる(へき地中核病院から)。 | |
4月1日 | 院長 吉嶺 文俊となる。 | ||
10月10日 | へき地訪問診療、月曜日・金曜日から金曜日のみとし、2地区を1日で診療。 | ||
16年 | 3月31日 | 臨床研修協力施設証の交付を受ける(厚生労働大臣)。 | |
7月1日 | 鹿瀬地区への訪問診察開始(鹿瀬町診療所の休止による)。 | ||
8月1日 | 介護保険適用「指定居宅サービス事業者」(訪問リハビリ)の指定を受ける。 | ||
11月5日 | 鹿瀬町豊実地区へ巡回診療開始する。 | ||
17年 | 3月21日 | 臨床研修医受入開始。 | |
3月28日 | 病院機能評価の認定を受ける。 | ||
4月1日 | 津川町、鹿瀬町、上川村、三川村が合併し阿賀町となる。 | ||
11月2日 | 豊実地区巡回診療を第1水曜日に変更。 | ||
18年 | 3月1日 | 麻酔科の標榜 | |
4月1日 | 心療内科の標榜 | ||
6月1日 | 10対1看護を開始する | ||
8月1日 | 敷地内禁煙を開始する | ||
11月1日 | 全面院外処方を開始する | ||
12月1日 | 産婦人科を廃止し、婦人科とする | ||
19年 | 2月21日 | 血管外科を開始する | |
3月1日 | 重症加算室を4室とする | ||
7月2日 | CT画像診断の遠隔操作を開始する | ||
10月9日 | 病棟改修工事を開始する | ||
20年 | 1月25日 | ナースコール設備を更新する | |
1月25日 | 病棟改修工事が完了する |